あるお寺様の十八番
「人生いろいろ」...
島倉さんの歌は、感慨深い.....です。
最近、「ものすごく、感じます.....白か黒かだけでもの
ごとを判断してしまうヒトが多いな~」
と。
....そこまで、デジタルで考えなくてもいいと思うのです
が.....本当に0(ゼロ)か1(1)、オンかオフで判断する
ヒトの多いこと、多いこと。
....それも、若いヒトなら「有り」かもしれませんが、け
っこう年配のヒトでも、そんな傾向があります。
「白」か「黒」の2つで判断することも大切なんですが、
白に近いグレーとか、グレーに近い黒....など、といった
判断の階調が希薄なように.....感じます。
決して、自分の価値判断で「こうでしょうね!」
とは、仰らないですね~.....へんに関わりたくないので
しょうか、または、関わっては時間の無駄と思ってしま
うのでしょうか??
インターネット、スマホの時代になって.....
ものごとの「判断基準」がますます曖昧になってきたよ
うに感じるのは.....わたしだけでは、ないようです。
えらいお寺様も仰っておられたのですが、
......わたしのカラオケの持ち歌の中で、島倉千代子の「
人生いろいろ」という歌が一番好きじゃ。
歌詞の中で.....
「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ~」
とある。
このことは、いかにも「真理」じゃと思う。
人は「いろんな考え方をするから人らしい!」のであっ
て、また、人真似をするのも考える道すがらのことと考
えられる.....
が、人真似をしても、そこで「考えること」を止めてしまっては、何にもならない!
忙しくても、自分自身を「見失ってはいけない」。
ひとが、ゼロか1でしか判断できなくなってしまっては
....単なる「機械」になり下がってしまう。
人はいろいろな「判断の階調」で悩むから....その結果と
して素晴らしいものが完成する....のであって、「悩む」
ことを止めてしまつては....ひととしての「存在」を自分
で否定することにはならないか、どうか?
どうでしょうか?
まして、AIなるもので、ヒトの考えを先導することにな
ってしまう事態になれば.....いかがなものか?
どう、考えたら、対処したらいいいのか....
困った時代になってしまった。
「こころの時代」をどう克服して行くのか?
正しい答えは、今、分らないことばかり...
しかし、京都にはたくさんのお寺があります。
お寺様もたくさんいらっしゃいます。
たくさんの法話もお聴きすることが、できます。
「こころを豊かにしてくれる何か」が見つかるかも知れ
ません....。
観光に来られて、観て、食べるだけではなく.....
早朝からの「法話」も旅のスケジュールに入れていただ
きたいものです。
それが、京都へお参りに来ていただく意義かもしれませ
んぞ~。
私自身含めて、
30年前の京都は、もっとのんびりしていたのですが、
「今の京都は大切な何かを見失ってしまっている」
んでしょうね.....。
.....京都も一度「鎖国」をしてみるといいかもしれませ
んね。
また、また。