おじいちゃんのルーツ?
ほとんど、知らない......
最近、ふと考えることがあります。
それは、母のこと、父のこと、おじいちゃんのこと、おばあちゃんのこと.....
この歳になって、自分のルーツ(祖先)のことを知らないことに気づいたのです。
当時、大家族だった我が家では、母は毎日の育児・子育てでてんてこ舞いだったでしょうから、母とゆったりとプライベートな話しはできなかったように記憶しています。
まあ、私が男の子だった.....ことも、あるでしょうが、母のルーツについてわたしが知っていることと言えば、極めて断片的でしかありません。
母の若い時には、花嫁修業の一環として「奉公(ほうこう)」に出されたことを直接聞いたことがあります。
そこで、お掃除の仕方から、お客様の接遇に至るまで厳しく「躾(しつけ)」られたそうです。
それが、後々の母の子への躾の厳しさに繋がってくるのだと、思っています。
父については、
かって、わたしの兄も「ルーツ」をたどっています。やはり、知りたかったのでしょう.....。
わたしも、大学生時代の親友が計画した「東北一周旅行」に便乗して、山形を訪れています。
父の故郷は「山形」。
中心部から郊外へはしるボンネットバスに乗って、
「ゆったりとした時間がながれている」と感じたことを憶えています。
画家(日本画)になりたくて、京都に来た父でしたが.....戦争のため、思いを貫くことが出来なかった思いは.....兵士として戦場に赴いても、日本手拭にでも描いていました。荒涼とした「満州平野」の風景ばかりです。
おばあちゃんのことについては、農家で裕福だったこと.....
親戚ご兄弟さんがおられたので、いろいろなことを教えていただきました。
したがって、
おばあちゃんとのエピソードが、今後ともご紹介する機会があまたあろうとも思います。
しかし.....
おじいちゃんのことについては、分らないことがたくさんあります。
名は「定吉(さだきち)」。
いまでも、おじいちゃんの写真を大事にしています。
細身で小柄で、丸フレームの眼鏡をした頑固一徹といった面構えの一枚。
京都の料亭に丁稚奉公からはじまり、努力に努力を積み重ねて....やっと、分家をいただいたという「我慢・辛抱・忍耐・努力」のおじいちゃんです。
出身地が京都か、福井か または滋賀なのかも まったく知りません。
元来、仕事の時以外「まったく、しゃべらない」という職人気質のおじいちゃんでしたので、判らないことが多いのは致し方のないことだとは思います....。
京料理を極めるために、
お店を構えてからも.....京の名だたるの懐石料理を食して、どんどん日本料理の変化を吸収していったそうです。
まあ、直接そのお店に出向くと、板さんが変えてしまうとふだんの本当の「味」が判らなくなってしまうので、祇園のお茶屋さんに出向いていただく....
というやり方で研究?していたそうです。
.....おばあちゃんからのお話しから。
ルーツ
知って、どうするの?
と聞かれても、どうこたえて良いのか 判らない自分自身です。
しかし、知ってみたい.....
のは、
「わたしが歳をとった」からなのでしょうか?
......わたしの中での
おじいちゃんのベストは
すまし(箸洗い) と だし巻き玉子
だと思います。
お出汁の「感覚は最高」だったと、今でも思います。
(tv番組で、出汁をとるのに、てんこ盛りのだしかつを使われるのを見て、
いっも奇妙に感じていました。おじいちゃんは、そんなに「入れなかった」けど.....美味しかった。)
また、また....ルーツ 知りたくなりましたね。