甘いとか、酸っぱいとかいうことを通り越して、
何とも言えない味という。
別の語でいいかえれば、「淡」ということになります。
それは、何だと言われれば、
実在するものでは、結局「水」となる。
万物は水から出たことはご存じのとおりである。
ひとの身体も八割は水である。
だから結局ひとが死ぬ時には、水が足りなくなるから、
「水、水」と言う。
何はおいても「水」ということになってしまう。
その水を使って、煎茶をいただくと、
最初にお茶の中に含まれている甘みが出てくる。
その次にはタンニンの渋みを味わう。
それからカフェインの苦みを味わうのである。
甘み、渋み、それから何ともいえない苦み、その
上がつまり「無の味」となる。
これを湯加減して味わい分けるのが茶の趣味、茶道
だといわれています。
ひとも甘いというのはまだ初歩の味です。
あのひとは甘いやつだといいます。
これはまだ若い、初歩だということです。
だいぶ苦みが出てきたというのは、苦労して本当の
味が出てきた。
だから、ひとが大人になってくると
だいたい甘いものは好まなくなる。
(安岡正篤著「活眼活学」より)
この歳になって判るような気がします。
でも、わたくし個人的には「甘味」もOKです。
苦言、苦味を愛するようになってくると何でも
渋くなって
「苦を愛し、淡を愛し」
「無という境地」に入る。
しかしながら....
なかなか、「無の境地」には入れないようです。